弥勒世通信【年齢と供に起こった心境の変化】

弥勒世通信

【年齢と供に起こった心境の変化】

 

 

 

 

 

これも また前回の記事

(ライフスタイルによる・・・)への追記

補足記事になりますが、

 

『無闇にハマらない・・・』

などと申しますと まるで

情熱を失う事の様に誤解されそうですが

 

そう言う意味ではありません

 

時間や金銭を費やす対象が

自分一人の満足から、

もうちょっと異なる次元

【陰徳積みや御霊の浄化】

・・・にシフトした、と言う意味です。

 

とは言え、まだ 若かった頃は それこそ

今から振り返れば

『無駄だったな・・・』と思える様なものに

ハマったり 時間を費やした事もありました。

 

けれど 後から振り返った時

それを 『無駄だった』と冷静に眺められる程に

 

無駄だと思えた時間を通して

学ばせてもらいました。

 

『人生に無駄は無い』・・と言うのは

そう言う所からですね。

 

 

さて、前回の記事で

『納得出来るものだけに 時間や金銭を使いたい』

と書かせていただきましたが、

 

それは

 

若かった頃の様な『自己満足』の境地から

 

心境が 少し変化して

 

『時間や金銭を費やす対象が

 天に徳を積めるようなものか、否か、

 御霊をより輝かせる事が出来る事か、否か、』

 

と言うものに シフトして行った、と言う意味です。

 

それは 年齢を重ねるのと平行して

起こって来た心境の変化です。

 

 

やがて、肉体を離れた後

魂のみの状態になった時

それが あの世への手土産として 

持参出来るものか、否か、

 

形あるものは すべて この物質世に

置いて行かねばなりません

 

魂のみになった時

この世で学んだ事、積んだ徳

 

今自分が費やそうとしている時間や金銭は

あの世への手土産に出来る様な事柄か、どうか、が

 

今の自身の行動や出費の基本になって来ている

 

 

そう言う意味で、

無闇にハマらない、と言うのは

それが 陰徳を積めるものか 御霊を輝かせ

浄化出来る様なものか、否か

 

ただ単に その時だけの一過性の

自己満足に過ぎないのであれば

それに お金や時間をつぎ込むのは

無駄になるんじゃないか?

 

・・・と考え、行動する様になって行ったのです。