弥勒世通信 【お葬式は本来、お目出度い儀式だった】

弥勒世通信

【お葬式は本来、

  お目出度い儀式だった】

 

 

 

 

 

お盆の季節になりましたね

 

 

今日のお話は 

そのお盆に ちなんだお話し

 

わたくしの後継者経由でのお話しですが

なかなか興味深い内容でしたので

当ブログで ご紹介する事に致しました。

 

 

先日 と或るお葬式に参加した時の事だそうです。

会場となったお寺さんに入ると

その煌びやかさを見て

 

(お寺さんって 神社よりも

 装飾が派手だなぁ~~

 なんでだろう・・・)

 

・・・って

思っていたのだそうです

 

 

すると その心に呼応する様に

こう イメージが降りて来たそう

 

 

【死は本来 忌むべきものでは無い

 人がこの世に 学びにやって来て

 この世を去る『お葬式』と言うのは

 その学びを終了し あの世へ戻る

 いわば お目出度い儀式なのである】

 

 

だから

 

 

『おめでとう~!

 この世の学びを 無事 やり終えたね~

 善かったね~ ご苦労様~~♪

 おめでとう~~♪』

 

 

 

・・・と、皆で お祝いしながら

本来の世界へ お見送りする儀式なのだ、そうです。

 

 

だから 豪華絢爛な場所で

この世を去る人(本来の世界へ戻る人)を 

お見送りする

祝いの門出の儀式なのだそうな

 

 

ところで 宗派など、様々なものがありますね

それに関しては この様に、

 

 

【好みの問題であり 選ぶのは自由

 例えば、様々なお店があって イタリアンだったり

 和食や洋食、と、それぞれ好みがあるように

 宗派、儀式を選ぶのも 個人の自由

 

 

 例えば、日蓮さんが始めた お見送りの様式(葬式)

 親鸞さんは こう言うお見送りの儀式をするよ

 そう言った違い、であって

 特に どこが どう、と言うのでは無く

 ただ 

「自分は 日蓮さん式のお見送りの儀式をしてほしいよ」

 ・・とか

「自分は 親鸞さん式で お見送りしてもらいたいよ」

 ・・・そう言った違い、で 好き好きで

 自由に選べば良いだけ、の事】

 

 

・・・なのだそうです。

 

 

そうですね・・・

そんな風に 本来なら 喜びと供に

祝いの門出となる お葬式が

 

いつしか 忌まわしいもの、と

忌避される様になって行ったのは

もしかしたら 世が 闇の世界を

経験する為に 人が 人 本来の学びを出来ず

 

苦悶や苦渋で 憤怒と供に

この世を去る者が多くなって行った為

 

中々 成仏出来ず

この世に 未練や執着を持つものが

多くなって行った事が 原因なのかも知れませんね

 

 

もうじき 訪れる 光の弥勒

 

本当に 待ち遠しいですね・・・(^-^)♡